| ★吉村 忠治 (よしむら ただはる)[コーチ] No.034 2006/10/4 Update | ||
| 先の都市対抗戦を終えて、 率直な感想をおきかせください。 | ||
そうですね。
九州大会からトヨタ戦の結果をみると、
やはり「打てない、点がとれない」ということだったと思います。選手の体調面は万全だと思いましたが、 やはり現実は厳しかったですね。 |
||
| 選手時代とは異なる、 コーチという立場では、 どういったところが違ってくるものなのですか? |
選手のときは、
自分の成績がそのまま直接的に
試合の結果やチームへの貢献ということにつながってくるものです。
そういった状況ですから、
試合に臨むときの
気持ちはかなり張り詰めた感じになりますね。コーチは、選手ほどプレー自体に 深く入り込む役割でもありませんし、 がんばって選手が結果を残してくることがうれしい、 という思いですねえ。 |
| 試合中はどんなことを選手に指示するのですか? |
|
打てない時はこういう打ち方をしろ、
とかこの球を狙って打てとか、
そういったことです。 実際にその通りにしてくれて、 それでも打てないというのなら納得がいきますが、 そうでない場合はコーチとして悩みますね。 トヨタ戦ですか?「まっすぐ狙い」を指示しました。 だけど、それができなかった。悔いが残りました。 |
| 野球をはじめたきっかけと経緯について教えてください。 |
小3からソフトボールをはじめました。
オヤジは足が悪いけどソフトをしていたんですよ。
そこに連れらて行ったのがはじまりです。
それから中学校で軟式野球をはじめて、
高校はどうしても熊本工業高校に行きたくて
がんばって勉強しました。入学式の後、 野球部入部希望者がグランドに集められまして、 ざっと150人くらい集まったんですよ。 まず、先生から「厳しいぞ」という話があって、 それでも100人くらいが入部しました。 後はずっと走るだけです。 そのうち段々新入部員は減っていって 最終的に20〜30人くらいになりました。 記録会の遠投で 一番遠くまで投げることができたので、 自分が選手として選ばれ、 2年生の時に甲子園出場を果たしました。 1回戦、2回戦と勝ち進んでいったのですが、 結構エラーをして監督の信用を失っていました。 ところが次の試合で4打数4安打、 うち一本はホームランを打ったんです。 それをきっかけにして気持ちが吹っ切れて すごく自信が持てるようになったんです。 大学の時は、 2年生の秋から4番を打たせてもらいました。 ここの練習に参加したときに、 当時の岩崎監督に声をかけてもらって 入部しました。 正直言って 三菱の会社に入社したというより 野球部に入部したという感じの方が 強かったです。 引退は33歳のときです。 当時の林監督に相談してマネージャーになりました。 |
| これから先コーチとしてどんなチームを作りたいですか? そして監督になりたいですか? |
監督ですか?考えたことはありません。
ただ、監督さんをマネージャーやコーチとして側で見ていますが、
とても大変な仕事ですよ。勝ち負けの責任や会社とのやり取りだけでなく、 さまざまな関係者とバランスよく付き合って行かねばなりません。 野球というのはみんなルールも知っているし、 ゲームの中で成功や失敗、 良いプレーや悪いプレーははっきりしていてわかりやすいものです。 だから、勝ち負けだけでなく 内容についても厳しい目にさらされます。 チーム面では、 まずはこの秋の日本選手権に向けて 作りあげていくことが当面の課題です。 地方大会から厳しい戦いになりそうです。 若手がどんどん伸びてきて欲しいところです。 |
| 最後に、 野球教室に来ていただいた選手や これから来ていただく方へメッセージを |
今の自分たちより
レベルの高い技術に触れたり
見たりするだけでかなり上達できることがあります。
そういったところを、
当所硬式野球部と
合同練習をすることできっかけをつかんでください。我々教える方の気持ちとしたら、 教わる方のうまいへたは気になりません。 教わるほうが本気であればとても教えがいを感じられるからです。 是非、 一緒に長崎のアマチュア野球の レベルを高めていきましょう。 |
| ★松尾 大吾 (まつお だいご)[内野手] No.035 2006/10/4 Update | ||
| まずは、このたびの都市対抗戦について。 負けてしまいましたが、ホームランは見事でしたね。 | ||
ここ一番いちばんの勝負に強い、
というのが僕のウリですから。普段のバッティングも初球からガンガン狙っていきます。 |
||
| 勝負強くなるためには 気持ちのコントロールが必要なんですか? |
|
特別なことをするってことはありませんが、
僕の場合は、
自分が打つんだというイメージで打席に入っています。
失敗したときのことを考えたりはまったくしません。 大学のときから、 自分がここで打つんだという感覚で入るようになれました。 神宮大会で優勝したときもそうでした。 でも、今回の都市対抗のホームランについては、 そういう感じではなかったです。 ノーマークだったから打てたんだと思います。 |
| 活躍できたのは、何か秘訣があるのですか? |
特別なことは何もしていません。
自分は宿舎での生活を
大切にするよう心がけていました。
普段の生活と、
同じリズム、
同じペースで過ごしました。
これが良かったのかも知れません。そういえば久米さんも、 マッサージやケアをしながらペースを崩すようなことはしていませんでした。 僕も、 そういうところを見習おうと思っていました。 |
| 野球をはじめたのはいつからですか? これまでの経歴を教えてください。 |
小2からです。
兄の影響で。
それまではラグビーをしていました。
足も速くて
運動神経は良かったと思います。中学校では、当時、全員 琴海中学校の生徒ばかりで構成されていた 琴海スラッガーズに入っていました。 そかれら、柳川高校へ特待生として入学しました。 親元を離れる不安は、 ほとんど無かったです。 「住めば都」、すぐに慣れました。 高2の春・夏と甲子園に行きました。 どちらもベスト8まで進みましたが、 両大会とも智弁和歌山高校に負けてしまいました。
それから、九州産業大学に推薦で入学。
プロに入りたいという夢はありましたが、
まだ全然そのレベルではありませんでした。大学2年までは社会勉強が忙しくてあまり 熱心に練習をしませんでしたが、 3年生から気持ちを切り替えて野球に 取り組むようになりました。 4年生の時に神宮大会で優勝することができました。 その時に始めて監督にほめられたことがとてもうれしかったし、 一番の思い出です。 ここへは監督を通じて声をかけていただき、 地元ということもありお世話になることを決めました。 |
| 大学と社会人野球の違いは? |
|
まだ半年しかたっていませんが、
細かい、精度の高いプレーまで求められます。 ずっと内野手をしていたので外野の練習をもっともっとしていかねば、 と思っています。 今取り組んでいる課題は、 振る力を強くする、です。 そのために、体の絞込みをしているところです。 |
| 最後に地元少年野球のみんなにメッセージを。 |
野球をしたくても、
背が低い、
パワーがないということで悩んでいる人がいるなら、
大丈夫。
やれば絶対にできますよ。僕の身長は、162センチ。 小さくてもがんばれるよ。 野球が好きならぜひ始めてください。 そして、続けて欲しいです。 |
| ★第77回 都市対抗野球大会にむけての抱負 No.033 2006/6/9 Update | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ★尾崎 晃一 (おざき こういち)[マネージャー] No.032 2006/5/7 Update | ||
| 選手として野球をしていたときの 一番の思い出は? | ||
平成12年の
都市対抗予選が
熊本であって、
そのときの準決勝で勝ち越しのホームランを
打って勝ったことです。選手時代を振り返ってみれば、 よいことよりも練習できつかったという 思い出のほうが多いですね。 |
||
| そもそも野球を始めたのは? |
小学校3年生のときに、
父親にソフトボールをすすめられたのがきっかけです。
本当は水泳をしたかったのですが、
地元のソフトボールチームに入って、
その一年後には、父がそこのコーチになったのでそのまま続けることになりました。でも、やっているうちに面白くなってきたんです。 練習をして上手になると試合に出ることができるし、 結果を残すことによっておもしろくなりました。 |
| ずっと地元長崎市内で野球をしてこられましたね。 |
| はい、淵中学校から長崎商業高校に行きました。 前に監督をされていた岩崎さんが長崎商業高校のOBで、 そういうご縁もあり、 また、親や高校の先生からもすすめられてここへお世話になることにしました。 |
| さて、現役選手を引退してマネージャーになられたのですが、 そのときの心境は? |
|
そのときはケガもしていて活躍できていませんでしたし、
チームもちょうど、若手の入れ替え時期で
自分でも結果を残せていなかったので、
引退する潮時だと思っていました。 ですから牧瀬監督に「どうする?」と尋ねられて、 そういうことを言いました。 そうしたら、監督から「マネージャーをやってみないか」と言っていただいたんです。 自分は、野球が好きだし、それにからんだ仕事ができるし、 恩返しができればと思ったので、 「やります」というよりは「引き受けさせてください」 という感じで返事をしました。 |
| 実際に引き受けてみていかがですか? |
ここまで大変な仕事だとは思いませんでした。
やることが多くて大変ですね。チームが第一なので、 チームが練習や試合に没頭できるような 環境つくりが大切。 そのためには、スケジュールづくりやお金の管理などといった 普段は目立たない仕事が とても大切なんです。 特に今年の地区対抗の 予選が地元の長崎で開催されるので、 予選を突破して 東京ドームでひと暴れしたいですね。 それから、外から野球を見ていると、 選手のプレーが変わったというのがわかるようになりました。 そういうのを見ているとおもしろいです。 選手のときは自分のことで精一杯で、 客観的というか冷静に チームメイトのことを見る余裕はありませんでしたから。 しかし、選手と一緒にいる時間が 少なくなったので、 管理の仕事も大切だけどできるだけ グランドに足を運んで選手と コミュニケーションをとっていきたいです。 そうすることによって気軽に話せる 雰囲気づくりをしていきたいと思っています。 |
| では、最後に野球少年に野球を続けるコツなどをアドバイスしてください。 |
特に小学校、中学校のときは、野球を楽しんでください。
おもしろいと続きますから。
そのコツは、友達を作ることです。友達を作って一緒にすると 練習も楽しくなってきますよ。 だから、友達を作るためにスポーツをするんだ、 というくらいに考えて取り組んでみてはどうでしょうか。 実際に、 自分も選手をやめた今でも 小・中学校の友達と付き合いがあります。 それが野球を続けてきて一番良かったことだと思っています。 だから、そういう環境を与えてくれた 親に感謝しているし、 今度は自分が子供たちに教える 機会があれば野球技術を伝承するのも 自分の務めと思っています。 |
| ★杉野 広樹 (すぎの ひろき)[コーチ兼捕手] No.030 2006/4/3 Update | ||
| 今年は、 出場の機会が増えそうですね。 | ||
監督から行けと言われればいつでもマスクをかぶれるよう、
冬場に体は作ってきたので、
体力的な不安はありません。
キャッチャーは、
結構肩に疲れが来るんです。
ピッチャーの球を受けてそれを返すわけですから、
同じだけ肩を使っているんです。
それに加えて各イニングの最初のボール回しの時に、
セカンドまで投げます。
Wヘッダーの時は、
6回くらいから指先にしびれが来るときもあります。
|
||
| 一方では、 コーチとして若手の育成の役割も期待されていますね。 |
| 僕が出るより若手が出るほうがチームの向上につながります。 あの河田選手(東北楽天イーグルス)も 平成12年に始めてスタメンでマスクをかぶったときは頭が真っ白になり、 途中から代わりました。 そうしたフォローをベテランがしながら、 若手のキャッチャーを育てていくのです。 いくら練習をしても、 ピッチャーとのコミュニケーションをとるための勉強しても、 試合にでながら経験をつまないと一人前にはなれません。 そういったフォローをしていきたいと思っています。 |
| ところで、試合ではピッチャーとキャッチャーのどっちがサインを出すのですか? |
ピッチャーから信頼されるようになればキャッチャーが出しますが、
最初は、
エースから首を振られながら配球について
経験を積んでいくものです。キャッチャーの仕事は、 ピッチャーの調子の良さを 引き出すのが一番大事です。 そのためには、ピッチャーのランニング練習につきあったりします。 その時は、一番前を走るのではなく、 一番後ろからついて行って、 「このピッチャーは調子の良いときは こんなふうに声を出すんだな」 「いつも誰と誰は 仲良く並んで走っている」 ということを観察します。 キャッチャーというポジションだけ、 ファールグランドにいるので、 そのぶん客観的にゲームを見ることができます。 ピッチャーは、 目の前のバッターとの 勝負に真剣になっていますので、 一球ごとに、 時間にすればほんの数秒の間ですが、 目の前にいるバッターの動き、 次のバッターの動き、 相手の監督の 動きなどいろんなことを観察して、 次に何が起こるのか、 洞察しなければなりません。 若いキャッチャーにも、 技術よりも人間観察の 大切さを教えています。 |
| 野球を始めたときからキャッチャーだったのですか? |
小学校4年から
長崎南リトルリーグに入りました。
野球が好きでやりたくて、
というよりもグランドに行けば友達がいるので
野球をしに行くという感じでした。
中学に入って友人が
どんどん上達していき遠征に行くようになり、
僕が残るのがいやで
真剣に取り組むようになりました。
そのころはピッチャーと外野をしていました。
中学2年のシニアの全国大会で
神宮球場で戦いました。
ベスト4で負けましたが、
この球場でもう一度
野球をしたいという気持ちをとても強く持ちました。
大学野球に入って
神宮で野球をしようと思いました。その前の高校は、 甲子園に出たくて、 当事強かった 海星高校に行きました。 春の選抜に 外野手として出場しました。 高校3年の時に、 監督からキャッチャーになるよう言われてキャッチャーになったのがきっかけです。 外野手で肩も強かったし、 ピッチャーの経験もあるので、 それも生かせるので自分でも 向いていると思いました。 いつかは神宮で、 という目標があったから、 志望した明治大学を 受験して うまく入学することができました。 甲子園球場と 神宮球場とは 雰囲気がまったく違います。 甲子園は球場そのものが ある種の雰囲気を持っていますが、 神宮は応援そのものがすごいです。 球場が狭いぶんだけ 一体感が大きいです。 |
| プロ野球へは? |
|
それは高校のときのメンバーの堀幸一選手
(千葉ロッテマリーンズ)のスイングを見て、
無理だと思いました。
スピードが全然違いましたから。
プロに行くにはそれに加えて
並み外れた瞬発力と
足の速さが必要だと思います。 ちなみにピッチャーは、 プロに行った選手の球を 受けてきた経験で言えば、 スピードよりも体感速度、 つまりバッターからすると手元で 伸びてくるような球を投げることができるか、どうかでしょうね。 実際には135キロのスピードでもバッターからみたら 150キロに感じられるような 球の切れや伸び、 そのためには筋肉を鍛えてそのパワーを 有効に活用できるように 練習しなければなりません。 |
| 最後に野球少年に 野球上達のアドバイスをお願いします。 |
野球が上手になるためには、
野球を好きになることが一番。
それから、いつも疑問をもって自分の頭で
考えることが大切です。たとえば普段の練習でも、 「これで決まり」ではなくて、 もっと別の方法で鍛えることができるのではないかと 考えてみることが大切です。 また、キャッチャーであればうまくリードできて打ち取れたとしても、 「もっと別の攻め方があったのではないか?」と 考えてみることです。 結果へたどり着くのはいつも 最短距離の直線ではなくて、 もっと寄り道をしていろんなルートや 組み合わせを考えてみる。 そういう癖をつけることも上達につながると思いますよ。 |
| ★古瀬 健太 (ふるせ けんた)[投手] No.031 2006/4/3 Update | ||
| 入部して一年経ちました。どんな一年でしたか? | ||
早かったです。
あっという間に一年経ったという感じです。
最近になってようやく「やれそう」とう感じがつかめました。
高校野球と比べて社会人野球は、
パワーや技術が全然ちがうし、
選手も高校のときは2歳しか年の差がないけど、
社会人は10歳以上離れているし、
圧倒されることばかりでした。この一年で体重は変わりませんが、 力がついてきたので球の切れや 重さが出てきたと思います。 |
||
| 体をつくるために、 たくさん食べなければいけないらしいですね。 |
今年
|
|
ところで、高校のときは大きなケガをしたけど不思議 |
2度3、4ヶ月たったら監督 それから、3年生の時に肩 |
| では、うれしかたことは? |
えーと、なんか、あるかな? う〜ん。
毎試合僕は、生まれたときから父親 |
|
最後 |
|
じいちゃんが元気 |
| ★牧瀬 寅男(まきせ とらお)[監督] No.029 2006/3/1 Update | ||
|
今年 |
||
大丈夫まず河田 課題 松永 いっぽう攻撃面 |
||
|
そうすると今年 |
いいえ、そうではありません。今年この強化 |
|
さて、今年 |
当所今年 もはや、周囲 九州 |
|
ところで、今年 |
そうですね。試合 |
|
最後 |
昨年また、積極的 |
| ★宮元 智博(みやもと ともひろ)[捕手] No.027 2006/2/1 Update | ||
|
宮元智博選手 |
||
はい、苦とにかく今日 ここへ入 ところが、入 本当 振 |
||
|
どんなことをして気持 |
特ちょうどその頃 「結局 |
|
昨年 |
|
もちろん試合 キャッチャーは、ゲームを支配 |
|
長崎 |
高校時代それから、ファンレターをもらえるようになりました。やっぱりうれしいです。 |
| ★柴田 哲也(しばた てつや)[外野手] No.028 2006/2/1 Update | ||
|
小学校 |
||
はい、始小 中学校 1年 |
||
|
反対 |
スランプの時立 去年 |
|
ところで、「ベテラン選手 |
|
それは、技術 たとえば、都市 具体的 |
|
最後 |
まだ小息子 でも、自分 息子 |
今回控 |
| ★木下 貴哉 (きのした たかや)[投手] No.025 2006/1/1 Update | ||
|
まずは、これまでの野球歴 |
||
僕大学 |
||
|
2年 |
1年目それまでずっと、野球 |
|
また、山中選手 |
はい、彼しかし、山中 |
|
応援 |
|
フォームに自信 |
| ★夏迫 惇 (なつさこ あつし)[投手] No.026 2006/1/1 Update | ||
|
どのようなきっかけで野球 |
||
|
始 |
||
|
高校 |
それが、ずっと地区大会甲子園 |
|
入部 |
ようやく、スピードや技術また、体 僕 |
|
フォームを変 |
高校フォームを変 心技体 |